写 真 (その1)
PHOTOS  NO.1


もし心当たりがある写真がありましたら、もう少し拡大した画像をお送りします。

P001 ガタルカナル島で戦死された長尾常登氏が所持されていた財布の中にあった。

「その他」M004参照
P002   写真の裏に、「青森市博労町 光明館柴田写真場」と書かれている。軍服の襟章から、陸軍一等兵と思われる。

東奥日報記事  
P003   風景の中に「丸冶玩具店」の看板が読み取れる。

上のP002と同一人物が所持されていたと思われる。

  
P004


Returned
元の持ち主名  古屋邦美

元海軍の古屋邦美様が、テニアン島駐在のとき写真館で写し、知人に渡されたものと判明。古屋様はその後ラバウルの本隊に戻られ、終戦後無事帰国、山梨県にご健在

2004年3月、ご本人に返還
P005      P004とともにテニアン島で見付けられたものと思われる。写真の女性は、当時テニアンで和裁を習っていたグループ 内二人のお名前は、桑名工藤トシコ

裏面に、「板橋さんが写して下さった」と書かれている。また日章旗(F011)といっしょに見付けられたものと推定される。  

P006 以下の写真は、すべて同時に入手したもの。古いアルバムにあったということであるが、同一人物が持っておられたかどうかは分からない。この他、映画女優のブロマイドなどもあった。

P006-01

右下に「HIBIKI. NAGASAKI」の押し印。裏面に「十月一日 遠足の日 校庭で」と書かれている
写っている女学生は、1932年(昭和7年)に旧長崎県立高等女学校(現県立長崎東高等学校)へ入学した方たちで、写真は1936年に長崎市の響写真館が撮影したものと判明。
またP006-01〜10、13にも同級生が写っている。その大半に用正多美子さん(故人・前列右端)が写っており、これらの写真は用正さんかその関係者が持っておられた可能性が大きい。
 長崎新聞記事

P006-02
右下に「T.Ishii TEL.8661」の押し印


P006-03
「Miss Oka」のサイン
同じく同級生の岡静代さん

P006-04
左が用正多美子さん、右は市立長崎高女の生徒


P006-05
裏面に「小林惇子さんの家で」
右から2人目が用正さん

P006-06
右から2人目が用正さん

P006-07
後列左が用正さん、小学校時代の友人と

P006-08
裏面に「女学校二年生の時」
後が用正さん

P006-09
裏面に「女学校一年」
左が用正さん

P006-10
右が用正さん

P006-11

P006-12

P006-13
原爆で亡くなった重野さん

P006-14
P006-14〜16の場所は、大村陸軍病院と思われる

P006-15

P006-16

P006-17

P006-18

男性が着ている法被の襟に、「辻組出張所」とある。


P007 以下の写真は、すべて同時に入手したものであるが、同一人物が持っておられたかどうかは分からない。この他、長崎の名所絵葉書、天皇と航空母艦が写った写真、映画女優のブロマイドなどもあった。

P007-01

P007-02
左半分がちぎられたものと思われる。

P007-03
前の女性たちは慰問に来た人たち(?)
 
P007-04
中央壇上の立て札に「御下賜裕仁」
その後ろに立つモーニング姿の男性(右)は、P008-03と同一人物と思われる。

場所は、大村陸軍病院と思われる。

P007-05
右下に「D.Yamaguchi NAGASAKI」の押し印あり
長崎市の山口写真館の当主の祖父が撮影されたものと判明左側の方は、1935年(昭和11年)に、旧県立長崎高等女学校へ入学された生徒と思われる

P007-06
用正多美子さん

P007-07

P007-08

P007-09
用正多美子さん

P007-10

P007-11

P007-12


P008 以下の写真は、すべて1冊のアルバムの中に貼ってあるもの。アルバムの表紙には、「長崎医科大学 小児科教室」と書かれているが、元々医大で使われていたものを、個人が再利用したものと思われる。この他、昭和天皇・皇后、和子内親王(1歳くらい)の写真、映画女優のブロマイド、長崎・雲仙の絵葉書などもあった。

このアルバムに貼られている

P008-01

P008-02
右下に、「Sasaki Bunka-Studio」の押し印あり
 
P008-03
 
  (同左の一部拡大)   (P007-04の一部拡大)  
 
前列中央に立つモーニング姿の男性は、
 P007-04と同一人物と思われる。
                        

P008-04

P008-05
旧県立長崎高女の同級生の皆さん。昭和12年卒業後の2,3年後と思われる。長崎・中通りの中華料理店にて
前列右から3人目が用正多美子さん
後列左端が重野さん


P008-06
看板に「和洋料理仕出し カフエー 若松